「狐狸霧中〜こりむちゅう〜」
閑人
「晴明さまが、お部屋から出ていらっしゃらないのです。」 困惑した様子で切り出した貞光の言葉を、頼光は不思議な感慨を持って聞いていた。 感情の起伏の乏しい娘であると思っていたが、晴明の事となると、その喜怒哀楽がほんの少し露になる。 「昼近くになってもお姿を見かけませぬ故、お部屋の前まで参じてお呼びしたのですが……。気分がすぐれぬ、と言ったきり、寝所に篭っておいでなのです。」 頬に手を添え、小首を傾げる様は年相応で。 こんな表情も出来るのか、と頼光は的外れな感想を抱いたりもしたが。 ……だが、頼光が考えていたよりも、貞光にとって事態は深刻だったらしい。 「斯様な事は初めてで……妾にはどうしてよいのやら。」 「……何も無理に呼び立てる事はあるまい。気分がすぐれぬのなら、そっとしておいてやるが良かろう。」 初めての事態に貞光が困惑するのも尤もではあるが、さりとて身体を壊した者を無理矢理引きずり出すものでもあるまい。天の岩戸を決め込んでいる訳でなし、休息を取り、快復すれば現れよう。 そう考えた頼光であったが、しかし貞光は眉を顰め、ゆっくりとかぶりを振った。 「それが……その、晴明さまは、暫く誰にもお会いしたくないと……仰っておいでなのです。お部屋には結界が張り巡らされており、妾には入ることかないませぬ。」 「……結界まで張っているのか?」 そこまで他者を―――のみならず貞光までをも拒絶するというのは確かに尋常ではない。 訝しげな表情を見せた頼光に、貞光は小さく溜息を一つ。 「はい。ですから困っておりまする。」 「……御身に、何かあったのか?」 「妾は存じませぬ。未だかつて、斯様なまでに頑なな晴明さまを見た事はございません。」 ほとほと困り果てた貞光の様子に、頼光は重い腰を上げる。 「分かった……我が赴き、理由を訊ねて参ろうぞ。」 晴明の部屋の前に立つと、頼光は入り口に手を翳す―――確かに、目には見えぬ壁が其処にあった。 「晴明……いるのであろう?」 低く、よく通る声で呼びかけると、壁の向こうで微かに何かが動く気配を感じる。 「……頼光……。」 未だかつて聞いた事のない、覇気のない弱々しげな晴明の声音に頼光は不安を抱いた。 「貞光が心配しておるぞ。御身に一体何があったというのだ?」 「……。」 黙して応えない晴明に、頼光も掛ける言葉が見つからず。 ……訪れた沈黙を破ったのは、晴明の方だった。 「……頼光、今其処に居るのは貴方お一人ですね?」 「如何にも。」 「ならば……お入り下さい。」 晴明の言葉が終わると同時にぱちん、と結界がはぜる。 目の前にあった障壁が消えた事を確かめると、頼光は慎重に歩を進めていった。 頼光が室内に進入すると同時に、再び結界が現れる。 彼以外、誰にも立ち入らせる事のない空間を保つために―――。 足を踏み入れた刹那、結界の内に閉じ込められた事を頼光は悟った。 だがそれは、決して悪意がある訳ではなく。 寧ろ、他者を……貞光すら拒絶していた彼女が、己だけは招き入れた事に感謝せねば、と思い直す。 晴明の―――女人の寝所に入るというのは、些か気恥ずかしく感じた。 しかし、今はそのような事を考えている場合ではないと、改めて頼光は部屋を見回す。 そして程なく、薄暗い部屋の中央に座した晴明の姿を認めた……が。 頭からすっぽりと布を被ったその様に、頼光が怪訝な顔をする。 「……一体、何があったのだ?」 問い掛ける頼光に、消え入りそうな声で晴明が答えた。 「どうか……笑わないでくださいまし。」 言いながらそっと布を取った晴明の姿を目にし、一瞬頼光は言葉に詰まる。 些か蒼褪めた顔の晴明を彩る、艶やかな黒髪流るる頭には―――白銀の毛並みを持つ獣の耳が立ち上がっていた。 「晴明……それは、一体……?」 戸惑いを隠せない頼光の言葉に、晴明はぱらり、と開いた扇で顔を覆い隠して小さく溜息をつく。 「どうやら私は、昨今の討伐で想像以上に巫力を消費してしまったようです。」 原因はそれだけではない……この身に取り込んだ、人の手に余る強大な力は己を蝕み続けており、思った以上に負担を強いられた身体は、最早完全なる人型を保つことすら危うくなってしまったらしい。 流石に原因の全てを明かす訳にはいかず、晴明は理由を曖昧にして頼光に説いた。 「今までにない身体への負担の為か分かりませぬが、斯様に獣の姿へと変じてしまった次第。 巫力尽きたる我が身では打つ手もなく、困惑しておりまする。」 大きな溜息を一つ吐くと、晴明はその表情を曇らせる。 「そこで、貴方にお願いがあります。……貴方の巫の力、少々私に分けてはくれませぬか?」 思いがけない晴明の申し出に、頼光は少々面食らった。 「それは……一向に構わぬが。」 彼女が他者から―――それが妖鬼であろうと、その巫力を奪う術を知っている事を思い出し、頼光は納得する。 「だが……如何すれば良いのだ?」 承諾はしたものの困惑の表情を浮かべる頼光に歩み寄った晴明は、手を伸ばすとその襟元を掴み、己の方へと引き寄せる。 何を、と思う頼光の唇に真綿の如く柔らかな、温かいものが触れた。 「……っ……?!」 晴明の唇が、己のそれに重ねられている―――それを認識した刹那、頼光は混乱に陥った。 「…んっ……ふぅっ……っ……。」 ようやく唇が離されると、名残惜しげに透明な糸がつう、と引く。 「ああ、矢張り……貴方の持つ巫力は相当良質なものですね。」 口の端を伝う雫を指先で拭って舐め取りながら、晴明が嘆息した。 「ですが……口から吸い取れる巫力はごく僅かなれば……埒があきませぬ。」 呟きながら晴明はすっ、と立ち上がると、帯を解いて単を脱ぎ始める。 唖然として見守る頼光の眼前に、柔らかな曲線を描く、白き裸体が露になった。 初めて目にする晴明の肢体に戸惑う頼光であった……が、その視線は一点に着目される。 腰の辺りに漂うは、耳と同じく白銀の―――尻尾。 晴明の下腹を隠すが如く、ゆらゆらと揺らめくその動きを、頼光は呆然と眺めていた。 「……耳だけでは、なかったのか……。」 辛うじてそれだけ呟いた頼光に、晴明が頬を染めてこくり、と頷く。 「斯様な見苦しき姿……他者には到底見せられませぬ。……頼光、貴方だからこそ、願い奉るのです。」 獣の尾を揺らめかせながら、晴明は頼光の頸に腕を回した。 「貴方の霊肉に溢れし巫の力……直に、この身に注ぎ込んではいただけませぬか?」 思いもよらぬ晴明の行動と言葉に頼光は硬直する。 「……それは、つまり……。」 動揺を隠せない頼光の様子にくすりと笑みを零すと、晴明がその耳元に囁いた。 「ええ……私と交わり、その精気を我が内へ頂きたく存じまする。如何でしょうか?」 ―――我が、晴明と……交わる? 晴明の言葉の意味するところを反芻し、頼光は面食らう。 己の内に密やかに燻っていた感情……恋慕の念を悟った上での誘いなのか、と暫し勘繰ったが、そうではないらしかった。 「……斯様な、獣じみた身と交わるのはお嫌ですか?」 沈黙を拒絶と取ったのか、晴明が哀しげな眼差しを向ける。 押し当てられた晴明の身体の温もりが、柔らかな感触が頼光の欲を煽った。 ―――これは、あくまで彼女に巫力を分け与える為の手段に過ぎないのだ。 何度も自分に言い聞かせると、頼光は腹を括る。 「分かった……御相手致そう。」 掠れた声で応じると、頼光は晴明に手を伸べた。 「……ありがたく存じます、頼光……。」 艶やかに微笑んで頼光の手を取った晴明を膝に乗せ、その唇を己が口で優しく塞ぐ。 そうして何度も口付けを繰り返しながら、豊かな胸を弄り始めた。 「んっ……ふぅ……。」 両手に余る柔らかな膨らみを揉みしだきつつ、硬く勃ち上がり始めた胸の突起を指先で摘むと、晴明の唇から切なげな吐息が漏れる。 「ぁ……は、ぁっ……。」 与えられる心地良い愛撫に全身の力が抜けていくのを感じた晴明は、頼光の胸板に頭を預けた。 「……っ……。」 胸元を獣の耳が擽る感触に、頼光は一瞬身を強張らせる。 晴明が悦楽を感じる度に、尾は、耳は左右に振れて頼光の肌を擽り、惑わせているのだった。 好奇心の赴くままに、胸乳を弄っていた手を獣の耳へと伸ばす。 「っ……!!」 頼光が耳の裏側に触れると晴明はびくん、と身を竦めた。 「……あ、っ……やぁ…っ…。」 心地良い手触りの毛並みを指先で辿っていくと、くすぐったいのか、触る度にぴく、ぴく、と左右に揺れるその様が愛らしく、頼光の悪戯心を刺激する。 「ひっ……!!」 小刻みに震える耳に顔を寄せて軽く咥えると、仕掛けた方が驚く程あからさまに身体を強張らせた。 「やめ……頼光っ……ひゃ…ぁんっ……!」 獣の耳は常日頃の其れと異なる為か、感覚が酷く鋭敏になっているらしい。 更に、空いた手を揺らめく尾に添えて梳いてやると、晴明の身体がびくり、と震える。 「あ、…いや、……あっ……。」 普段の理知的な貌は何処へやら、頬を上気させ、いやいやと首を振りながら頼光の手から逃れようとする様は、さながら小動物と戯れるが如き享楽を齎していた。 「嫌……なのか?」 言いながら熱い吐息を耳に吹き込むと、ぴくん、と耳を揺らしながら晴明が頷く。 「……その、……耳と尾は……触らないで、くださいませ……っ……。」 消え入りそうな言葉に、頼光の嗜虐心が煽られる。ほんの少しからかうように、その耳元に唇を寄せて囁いた。 「耳と尾は嫌か。ならば……別の処に触れるとしよう。」 そっと大腿を撫で上げ、ゆるやかな曲線を描く臀部を辿り、そうして密やかなる女陰へと手を伸ばす。 其処は既に熱を持ち、しとどに濡れそぼっていた。 「やっ……頼光、其処は……あ…ぁっ…っ……。」 指先で柔らかな肉を掻き分けるように中を探りつつ、獣の耳を甘噛みする頼光の愛撫に、晴明の頬が更に朱を帯びる。 「これは……正に盛りのついた獣の如く、であるな。」 くちゅ、ちゅぷ……と淫猥な水音が奏でられる度に、晴明の身体が小さく震え、吐息は荒く熱くなっていった。 「そんな…事は、…っ…はぁ…っ……。」 口では否定する晴明であったが、身体の方は快楽を受け容れ、更に貪るべく無意識に腰を揺らめかせていている。 蜜を滴らせる花弁を指先で嬲りながら、一方でゆるゆると緩急をつけて柔らかな胸を弄る。 それに加えて敏感過ぎる耳を優しく食まれ、晴明の唇が戦慄いた。 「っ……ひっ、あ…っ……ああっ…!!」 熱く蠢く肉壁がきゅ、と軽く頼光の指を締め付ける。 指だけで達してしまった晴明が、脱力して頼光に凭れ掛かって荒い息を繰り返していた。 「頼光……。」 熱の篭った声で名を呼ばれ、潤んだ瞳で見つめられ、胸の内に愛おしさがこみ上げる。 ―――だが、其れは決して伝えてはならない感情。 この行為は……情を交わすのではない。只、巫の力のやり取りに過ぎぬ。 頭では分かっていても、それでも心は、違う意味で彼女との交わりを求めていた。 「晴明……其処に手を付くのだ。」 想いを必死に押し隠そうとする頼光の葛藤を知る由もなく、晴明は言われるままに床に手を付く。 四つん這いになった晴明の腰を抱えると、背後から己が陽根を押し当てた。 「!?……頼光、この様な……?」 獣のような体勢に困惑する晴明だったが、頼光は努めて平静を装って言い放つ。 「今の貴女は獣の姿ゆえ、斯様な交わりが相応しいのではないか?」 彼女の顔を見たくなかった。―――見てしまったらきっと、自分は内に湧き上がる衝動を抑えられない。 「……っ……。」 返す言葉がない晴明はそのままの姿勢で受け容れる事を諾し、頼光に促されるままに腰を高く上げた。 既に十分過ぎる程に潤いを湛えた其処を二度、三度と先端でなぞると、焦らされた晴明の尾が揺れ、頼光の腿を擽る。 急く心を抑え、頼光は蜜口に押し当てた逸物をゆっくりと挿入していった。 「ひぁ、あっ…あぁっ……!!」 晴明の身体がびくんと強張り、悲鳴に近い歓喜の声を上げる。一旦根元まで呑み込ませると、頼光は大きく息を吐いた。 「……ふぅっ……。」 頼光を咥える其処は心地良く締め付けてきて、気を抜くと一気に果ててしまいそうになる。 「あ、…はっ…あ、んぅっ……。」 ゆっくりと律動を始めた熱い肉の感触が、晴明の脳髄を蕩けさせていく。 目前で誘うが如くふぁさ、と揺らめく白銀の尾をそっと捕らえると、軽く引っ張った。 「はっ……あ、あぁっ……!!」 甘き嬌声と共に頭の上の耳がぴん、と立ち上がり、晴明の内が殊更きつく頼光に絡み付く。 「や、あっ……あっ…はぁっ……!!」 やるせなげに首を振り、与えられる強烈過ぎる悦楽に晴明は身を震わせた。 身体の奥からは蜜が滾々と溢れて伝い落ち、頼光の動きを助ける潤滑油となる。 己が楔を激しく打ち付ける頼光の動きに、晴明の背筋を快楽が雷撃の如く這い上がっていった。 「あ…ああっ……頼光、らいこう……っ……!!」 その身を貫く男の名を呼びながら唇を震わせ、おとがいを上げて果てる。 内壁が頼光をきつく締め上げ、情欲の吐露を促した。 「くっ……!!」 抗うこと能わず、頼光も晴明の内に熱き滾りを解き放つのだった。 「…んっ……は…ぁ……。」 晴明が脱力するとはたり、と下がった尾が力なく左右に振れる。 その場にへたりこみ、荒い呼吸を繰り返す晴明から、頼光はゆっくりと己を引き抜いた。 注ぎ込まれた精が淫水と混じり合い、とろりと零れて大腿を伝っていく。 「……ぅ…ん……っ…。」 小さく呻きながら上体を起こし、晴明が頼光を振り返った。 汗と涙で顔に貼り付いた黒髪を煩わしげに払いながら、艶やかな笑みを浮かべる。 「流石に……極上の精気でした。ですが……まだ、少々足りませぬ。」 今しがた精を放ったばかりの頼光の逸物を、晴明の指先がそっと辿った。 「頼光……もう暫しだけ、お相手願えませぬか?」 晴明は潤んだ瞳を向け、ほんの少し甘えを含んだ声音で誘う。 ―――その妖しいまでの妖艶さに、どうして抗えよう。 己の欲が再び昂ぶっていくのを感じた頼光は、手首を捕らえて晴明を組み敷き、覆い被さると唇を重ねた。 そうして衝動の赴くまま、晴明の肢体を掻き抱き続ける。 果たしてどちらが獣なのか分からない程に、互いの身体を貪り合う二人であった――― ……差し込む朝日の眩しさに、頼光は目を覚ました。 咄嗟に飛び起きて辺りを見回すと、其処は見慣れた己の寝所。 「……夢、だったのか……。」 大きく溜息をつくと、口元に手を当てて『夢』を反芻する。 獣の耳と尾を持つ晴明と、獣の如く欲の尽きぬままに交わるなどという、何とも荒唐無稽な―――淫靡な夢。 温かく柔らかな晴明の肌の感触が今もこの掌に生々しく残っているかのような錯覚に、頼光は二、三度頭を振った。 「……夢は、その者の願望を表すと言うが……。」 ―――心の奥底で芽生えた感情は、いつの間にやら斯様な邪なる欲望に膨れ上がっていたのか。 微かに自嘲の笑みを浮かべると、頼光は脳裏に焼き付いた淫猥な光景を振り払うが如くもう一度頭を振り、身支度を整えると寝所を後にした。 「まぁ頼光さま、今お目覚めですか?すぐに朝餉をお持ち致します。」 渡殿で出会った貞光が、にっこりと笑いながら声を掛けてくる。 「それより……晴明はどうしている?」 「お庭に出ていらっしゃいます。ほら、そこに。」 貞光の言葉に従い庭を見やると、陽だまりの中に晴明が小鳥と戯れているのが目に留まった。 「それでは、妾は朝餉の用意を致します故……少々お待ちを。」 ぱたぱたと慌しく駆けていく貞光の背をぼんやりと見送る頼光に気付き、晴明が振り返る。 「珍しいですね、頼光。貴方が朝寝とは。」 微かに笑いかける晴明の姿が昨夜の夢と重なり、頼光は直視できずに横を向いた。 「……ああ、そういえば、貴方に大事なお話がありました。少々耳をお貸し下さいませ。」 「?」 晴明は怪訝な顔をする頼光にゆっくりと近寄ると、その耳元に唇を寄せ、そして ――― 「!!?!?」 耳朶を軽く噛まれ、頼光が飛び退いて耳を押さえる。 頼光の狼狽振りを見てくすくすと笑いながら、晴明が囁いた。 「……昨夜の、お返しにございます。」 「!?!」 あれは―――夢ではなかったのか?! 瞠目する頼光の表情を、晴明はさも可笑しそうに見つめる。 「記憶を封じてしまおうかとも思いましたが……貴方には、覚えていて欲しく思いますれば。 ……くれぐれも、他言無用に願いまする。」 混乱に陥り、二の句が告げぬ頼光の唇に晴明がそっと人差し指を添えた。 「……また願い奉る事がありましたら、その時は……あまり苛めないでやってくださいまし。」 密やかに耳に吹き込み、一瞬だけ妖艶な笑みを垣間見せると、晴明はくるりと背を向けて去っていく。 艶やかな黒髪を揺らして遠ざかっていく晴明の後姿を、頼光は狐につままれた面持ちで呆然と見送るのみであった――― |