希玖奈
 母屋の人の気配からは遠い、静かな離れ。20畳の和室で、僕は高い天井を見ていた。満月に近いのか、障子を通して射し込む月影が明るい。
 ここ数日続いた流派の催しでの無理が祟って、微熱程度だけど、体調を崩したらしい。
 まあ、いつものように十兵衛の父上が診にきてくれるだろう。こうして布団に横になって、竹林を通る風に耳を澄ませているのも悪くない。
 音も立てずに、スウッと障子戸が開く。月明かりを背にした影は、予想した人ではなかった。
 「風邪か。」
 落ち着いた声で、また音を立てずに障子戸を閉める。
 こんな身体のだるい時に、彼が来てくれるのは、とても嬉しい。誰が側にいるよりも安心するし、心強い。
 彼----筧十兵衛は、枕元に来るとスッと座り、抱えていた手荷物を置いた。それが、十兵衛の父上の持っている黒い鞄によく似ていて、思わず尋ねる。
 「えっ。君が診るの?」
 当然のように、彼は答えた。
 「お前の主治医は、オレだ。」
 うん、僕の主治医は十兵衛だ。それは分かっているし、主治医なら僕の診察をするのは当然だろう。
 今更、事実と状況に納得する一方で、心のどこかに抵抗感があった。
 「そうだけど・・・。」
 渋るような返事をしてしまう。
 薄い単衣だけを纏った姿で布団から出るのも躊躇われるのに、彼の前で肌をさらしたくはない。
 普段、親友として付き合っているから、こうして主治医としての十兵衛と向き合うと、恥ずかしいのだろうか。十兵衛の父上がするように、十兵衛が僕の身体に触れることを考えると逃げ出したくなった。
 「オレだって、この程度の病の治療は出来る。親父もオレの腕をみて、お前をオレに任せたんだろう。」
 十兵衛は、鞄の中の針や薬、その他の診療具、治療法が書かれた草子などを見ながら言う。
 風邪だから主治医に診てもらうだけのことなのに、僕は緊張で自分の身体が強張るのが分かった。
 枕元に座る十兵衛も、僕の緊張を感じ取ったらしい。少し不機嫌な声になった。
 「お前を守る男になるために、日々、鍛練を積んでいる。何故、オレの腕を信用しない?」
 十兵衛の腕は、僕もよく分かっている。この不安は、そういう不安じゃないんだ。
 でも、十兵衛に説明できないし、自分でもどういう気持ちなのか分からない。
 風鳥院宗家の者として、筧の者にさせてはいけない誤解をさせたことに、自己嫌悪を感じる。
 彼らは五百年もの間、この風鳥院宗家を守り続けてくれているのに。
 「ごめんなさい。誰より君を信じているよ。」
 僕は十兵衛に謝ると、身体を起こし、彼に向いて座った。

 障子越しに降る月明かりだけが、部屋を照らす。月齢と部屋の向きのせいか、けして暗くはなかった。
 袖をまくった僕の腕に、十兵衛が触れる。差し出した腕が震えているのが、自分でも分かる。
 心臓がうるさい。ああ、もう、僕は何を考えているんだろう。
 「手が震えている。随分、脈拍が速いな。本当に風邪か?」
 調べるように、十兵衛は指を滑らせ、脈を計っていた場所より少し上を、軽く押した。
 「あ・・・っ。」
 ビクッと身体が反応し、とっさに十兵衛の手を振り払う。
 自分の身体の反応に、ただ驚いて、それから十兵衛を見ると、十兵衛も驚いた顔をしていた。
 いたたまれなくなって、布団の中へ逃げ、丸くなる。十兵衛に顔を見られないように、頭まで掛け布団を被った。
 心臓が破裂しそうで、顔だけじゃなく身体まで火照っているのを感じた。耳までが熱く、恥ずかしさで涙が出てくる。
 死にたい!僕は最低だ。十兵衛は何て思っただろう!!

 「・・・ごめんね、僕、変なんだ。
 見ないで、十兵衛。大丈夫だから、あっちへいって。」
 やっとのことで、それだけ言う声は震えていた。十兵衛の動く気配はしない。
 「花月。」
 軽蔑も嘲笑も一切ない、普段と変わらない声が、僕の名を呼ぶ。それでも、心の中では、浅ましい僕を何て思っているだろう。
 「お願いだから・・・。」
 泣きそうになるのを堪えて、布団を被ったまま、懇願する。
 「診療は、まだ終わっていないぞ。」
 十兵衛の声は、普段と何も変わらなかった。
 見なかった振りをしてくれるのだろう。無かったことにしてくれるのだろう。
 このまま隠れて、明日から気まずくなるより、恥ずかしくても出て行った方がいい----。
 僕は、そう考えると、おずおずと布団から頭を出した。まだ、十兵衛の顔は見られなくて、ゆっくりと身体を起こす。そして、恐る恐る顔を上げて、彼の顔を見る。
 静かな表情、その目の中に、火を見た気がした----。

 「えっ?!」
 引き寄せられて、きつく抱き締められた。僕の背に十兵衛の腕が廻されている。十兵衛の体温と、その着物に焚かれた微かな香で目眩がしそうだ。そのまま、布団の上へ押し倒された。
 「・・・何?十兵衛?」
 彼の顔が、すぐ上から僕を見つめていた。両手は僕の肩を力強く押さえている。
 乱暴にではなく、ただ衝動を押さえるように力を込めて。
 「オレが、怖いか?」
 切な気な表情で、問うてくる。
 怖い?僕が、君を?
 確かに、この状況が他の人間だったら、ものすごく怖いんだろうなあと思う。
 「ううん。・・・誰より君を信じているよ。」
 思ったままを、素直に答えた。こうしていても、十兵衛なら平気だ。
 答えを聞いた十兵衛は、僕の上に身体を重ねてきた。体温が、熱い。耳元にかかる息で、十兵衛の呼吸が荒いのを感じる。身体が、甘く痺れていく。
 単衣の胸元から、十兵衛の手が入ってきた。その指が、僕の肌を辿っていく。腕を触られた先程より、遥かに強い感覚に、身体が熱くなっていく。
 「あっ、ちょっ・・・。」
 襲ってくる知らない感覚から逃れたくて、身を捩った。反らした首に十兵衛が口付ける。肌を辿る指は、そのままに、首筋を辿った彼の口が、僕の耳を甘噛みする。段々と強くなる刺激に、ついて行けない。手足の力が奪われて、空を飛んでいるみたいだ。
 「花月----。」
 十兵衛が耳元で僕の名を囁く。頭の芯が痺れてきて、もう何が何だか分からない。これは、夢なんだろうか。身体が熱い。一箇所に熱が集まって、苦しい。
 「僕・・・変だよ。十兵衛----。」
 抱き締める腕も、何度も落とす口付けも、彼の全てが僕を支配していく。いつの間にか涙が溢れて、頬を濡らしていた。十兵衛の手が、下へと降りて行く。その指は、どうにもならない感覚を訴えて泣く僕を、なだめるように優しく触れる。
 「何も変じゃない。力を抜いて、オレに委せていればいい。」
 胸元に顔を埋めていた十兵衛が言う。こんな時でも、彼の口調は静かで、低めの声が心地よかった。
 「うん・・・。あっ、やっ!」
 内腿を触っていた指が、熱く形を変えている箇所へと触れた。刺激に身体が痙攣する。
 「ああっ、や・・・やだあっ、ああっ。」
 身体を捩るけれど、逃げられない。煽られて、追い詰められて、意識が飛んだ。


 唇に柔らかい感触がする。
 「あ・・・。」
 十兵衛が口付けているのだと分かると、口移しで与えられた水を飲んだ。
 「苦い----。」
 顔をしかめる僕に、笑うこともなく彼は言う。
 「薬だ。ゆっくり休め。」
 はだけた単衣が着せられ、布団もきちんと直されていた。あんな行為の後なのに、身体がさっぱりしているのに気が付く。単衣を着せる時に、身体も拭ってくれたんだろうか。
 布団に横になったまま、枕元に座る影に声をかける。
 「十兵衛・・・。」
 僕と十兵衛がしたことは、恋人達がするようなことなのかな。それなら、よく分からないけど、これだけじゃいけない気がする。ああ、頭がボーッとして、考えがまとまらない・・・。
 「何だ。」
 月が動いたのか、部屋は先ほどより薄暗かったけど、目が慣れているので、十兵衛の顔が分かる。
 静かな声、優しい眼差し。今度は、口元が微かに笑う。・・・綺麗だ。
 何か言わなくちゃ。何か言いたいことがあるのに、それが形にならない。
 こうして、十兵衛を見ていると、時間が止まって、世界に僕達だけがいるようだった。
 「----何でもない。」
 「よく眠って、風邪を治すんだ。元気になったら、お前の喜ぶものを見せてやる。」
 「・・・何?」
 「治るまでは秘密だ。」
 誰に聞かれるわけでもないのに、小さな声で、会話をする。お互い、いつもと変わらないように。
 その声や視線の一つ一つで、十兵衛が僕のことを気遣ってくれる気持ちが、痛いほど分かる。
 嬉しくて、切なくて、愛しくて、胸が痛い。
 「おやすみ、花月。」
 十兵衛が、スッと立ち、枕元から離れた。
 「うん、おやすみなさい。・・・ありがとう、十兵衛。」
 歩く彼の後ろ姿に、呟くように言う。障子戸が、音も無く開き、そして、閉まった。



 もう月は、障子戸の正面からは、遠く動いたらしい。
 20畳の闇の中、僕は高い天井を見て、竹林を通る風だけを聞いていた。そして、悟る。
 僕は・・・彼のことが好きなんだ。
 どうしようもなく、胸が痛い。十兵衛の声、表情、体温が、蘇っては僕を捕らえる。
 好きだ、好きだ、好きだ。
 誰にも知られないように、布団の中で、声を殺して泣いた。
 口の中に残る薬の味が、苦かった。


☆「十兵衛×花月・2」のコメントで、
>一時期、お子様Hに燃えていた(おい)時期が有るのですが、
>…誰か、描いて(書いて)くれないかなぁ…
と、おっしゃっていたので、書いてみました。
中途半端で、エロくはないですが、最後までヤッている物(やめろ。)を
送りつけるよりいいかとも思ったり。
「診療に針使ってねえ!」というツッコミ、言われる前に言っておきます・・・。

希玖奈


希玖奈様から頂いたお子様十花です(^^)
メールで頂いたのですが、ありがたく転載許可を頂きまして載せさせて頂きましたm(_ _)m
一時期(いや、今もです)ものすごくときめいていた「お子様えっち」(うふふふ…)
こも小説が届いた時には鼻血が…(^^;)
希玖奈様、ありがとうございました!!…また、何か下さいね(^^)←おい。