蜘蛛の巣(ワナ)・2筒井矢野

    聞きなれた寝台のきしみ、心地よい重みと人肌の温かさ、

 随分長い間抱き合っているように思えた。ずっと続けば良い、と願っていた。 

 『・・・・花月・・・』

 『・・・ん・・?』

 まどろみの中、ささやきとは別の呼びかけに答える。

 そして訪れた、崩壊。

 『花月・・・何を決めた・・・?』

 ―――何を、決意した―――?

 何を迷う、とは訊かない。

 もう、その決意を覆す気など無いことを悟っているから、

 ただそれを実行するのを躊躇していただけ・・・

 迷いではないと知られていたから・・・・

  偽ることなど、できない・・・

 『・・・・十兵衛・・・僕は・・』

 そして紡いだ、崩壊の鍵。

 ―――僕は・・・無限城(ここ)を出るよ―――

 

 

  新宿の一角、なにやら異様にピンク系統の家具が多く、それと同

 量ほどに鏡の多い――――一般にラブホテルと呼ばれる――――ホテルの一室で、

 これまたピンク色のダブルベットを一人で陣取って不機嫌に酒を飲んでいるのは、風鳥

 院花月という長い黒髪、黒目勝ちの大きな瞳を持つ和風な美少女―――ではなかった。

 どんなに顔が女性だろうが、そのあたりの女性より女性らしかろうが、

 正真正銘、男なのである。

 そしてそのベットの側の床で、バツの悪そうな顔をして、これまた酒を飲んでいる

 人物もまた、―――こっちははっきり男だと解る―――少年だった。

 本来なら男二人で入れるわけがない場所なのだが、一人が女性にしか見えない

 ということで難なく入れた様である。

 いや〜な険悪ム−ドの中、第三者がいないのは幸いだろう。

 長い沈黙の中、先に口を開いたのは床に座っていた少年だった。

 「そこまでむくれることねぇだろ・・・」

 なにがそんなに気不味いのだろうか。

 「・・・・別に。」

 味も素っ気もないとはこのことである。

 「・・・仕方ねぇだろ・・・」

 「・・・・別に。」

 謝罪とも取れなくもない態度にも見向きもせず、カパカパと酒を喰らっている。

 ベットの下にはこの花月が一人で呑みつくしたと思わしきアルコ―ルの

 瓶やら缶やらが、すでに小山を作り上げることに成功していた。

 「・・・送っていってやる気はあったんだ・・・一応・・」

 「ご自分の車がレッカ―されているのを忘れていて、挙句の果てに路銀もなかったと。」

 わざと、と非常に解りやすく溜め息をつき、冷ややかな視線が

 ・・・まぁ、あの時間帯じゃ電車もないでしょうけどね・・・。

 ・・・ですが幾ら野宿が嫌だといってもこんなところに連れ込まれるとは・・・。

 ・・・おまけにその宿泊代がこちら持ちとは・・・・。

 と、言っている。

 「だからおぶってってやろうかって・・・」

 ヒュン。少年の頭上をなにかが掠めていった。

 ガシャン。次の瞬間後方で聞こえる硝子の破壊音。

 ・・・まさしく数瞬前まで花月の手中にあったはずのビ―ル瓶・・・。

 流石に身の危険を感じたのか、小さく舌打ちしつつも引き下がった。

 「・・・・そもそもテメ―が歩けないのが悪いんだろうが・・・」

 それでもブツブツとほざいていればチクチクと帰ってくる。

 「歩けなくした、でしょう?ご自分のなさった事をもうお忘れですか?美堂蛮。」

 原因がこちらにある上、ホテルの宿泊代があちらから出るとなれば、

 完全に勝因は見えなようだ。

 「フルネ−ムで呼ぶなっていってんだろ・・・っておい、絃巻き・・・」

 ちらり、と見ればまた新たな酒瓶が並んでいる。明らかに、ヤケ酒。

 「まだ呑むつもりか?」

 「『酒に呑まれれば忘れられることもある』そうです。」

 「・・・誰の言葉だ・・?」

 「さぁ・・・忘れました。」

 物憂げに目を伏せ、グラスに口付ける。酒のせいで、薄く色づいた頬に長い髪の

 一筋がかかり、柔らかな妖艶さが感じられる。

 「『忘れられる。』・・・?」

 「?」

 ギシリ、とベットが軋み、振り返ると美堂の顔がまじかにあった。

 驚いて、僅かに遠のこうとする花月の顎を掴んだ。

 「なにを『忘れたい。』んだ?」

 尋ねながらゆっくりと親指で紅い唇をなぞる。

 何か答えようと口唇が開く前にそのまま押し倒して、上にのしかかった。

 「!」

 なにをする、と言われる前に顎を掴んでいた手の甲で口を抑える。

 「俺に無理やり抱かれたことか?それとも・・?」

 不快げに上に重なる身体をにらみながら、大きな抵抗をしないのは力の差が明らかなせい か・・・・・。

 花月はやっと手が外され、息をつくと真上にある邪眼の双眸の見据えた。

 花月の瞳に怒りの色はすでに無い。

 「貴方には・・・」

 「あ?」

 眉をひそめ軽く睨み付ける。

 「貴方にはいるのですか・・?忘れたいほどに大切な者は・・・・。」

 ・・・・忘れたいのは、嫌なことばかりではない・・・。

 酔いの所為か、さらっと問いかけに答える花月に僅かに拍子抜けに似た物がある。

 「・・・・その酒で忘れられそうか?」

 意地悪く笑みを浮かべながら冷えた髪を撫でる。

 怒るか、とも思ったが、擽ったそうにクスクス笑うだけで、

 頭に置かれた手をはらおうともしない。

 いきなり体勢が変わった所為で酔いがまわったのだろうか・・・?

 「無理ですね。」

 相変わらず押し倒された状態できっぱり答えながらまだ笑っている。 

 「完っっ全に酔っ払ってんだろ・・・?」

 酔っている相手に『酔っているのか』と聞いて果たして正確な答えは出るのだろう    か・・?

 「酔っているからこそこんな状態に収まっているでしょう?」

 この場にみあった状態なのだが、本来ならばかなり不本意な体制であろう。

 「退く気はありますか?」

 まるで保母が園児に問いかける口調である。

 「ナイっつったら?」

 ニヤリと口を歪めて花月の反応を見る。

 それでも花月は苦笑し、『おやおや。』などといっている。

 (・・・こいつ・・まさか俺に襲われたこと覚えてね―のか・・・?)

 そこまで花月の頭脳を侮ってはいないが、ついそう考えてしまう。

 「忘れてしまえばそれだけ辛いこともあるでしょうけど・・・」

 「・・・・・。」

 酒に酔い、ついこんな話をした。と自嘲気味に微笑む。

 「忘れたいか?」

 「え・・・?」

 不意の言葉に聞き取れなかった。

 「そんなに忘れたいなら、忘れさせてやろうか・・・」

 顔を近づけられ、邪眼と呼ばれる双眸から視線を外すことができない。 

 「ん・・・ッ」

 口付けられ、背けようとした顔は再び顎を捕まれ固定された。

 逃げなければ、と思っているのに、もしかしたら忘れられるのでは・・・・?

 という僅かな期待に身体は動こうとしない。 

 「言った・・・・でしょう?無理だ、と。」

 「それでも忘れたいんだろ?例えそれが一瞬でも・・・」

 覗き込んだ瞳が揺れている。

 「邪眼使いの貴方なら・・・・容易いかもしれませんね・・・」

 それが、同意。

 それが、答え。

 「邪眼なんか使わねーよ。」

 言いながら、首に舌を這わせる。

 酔っている所為で、その身体は少し熱かった。

 ひとつひとつボタンを外して、口付けていく。その肌にはまだ自分が

 刻み付けた跡がはっきりと残っていた。

 「・・・・・僕は・・・逃げるのだろうか?」

 ただ蛮の愛撫に身を任せていた花月がぽつりと呟く。

 独白の色を纏うそれには答えない。

 「んッぁ・・・・」

 「ここか・・・?」

 ただ忘れるように導いていく。

 狂わせる。他の事を考える、そんな逃げ道は与えない。

 身体の熱さえ支配して、理性さえ壊して、ただ求めるように仕向ける。

 「ふぅ・・・ん」

 握り込んでいた手に白濁した体液がかかる。

 両足を震わせ、苦しげに息づく体を強引に開いて、指を埋める。

 「ひッ・・・あぁッ」

 わざと焦らすように動かせば、うめく様に身を捩る。

 「・・・僕は・・ひぁッ」

 勢いよく引き抜いて、言葉を遮る。

 息つく暇もなく腰を沈めた。

 「あッあぁ!」

 身体を強張らせて、縋る腕に力を込める。

 「つ・・ぅ、僕、は・・ぁッ・」

 うまく舌が回らず、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 「僕は・・ぼく・・・は・・」

 「黙れよ。」

 そういって突き上げれば短い悲鳴を上げて崩れた。

 昂ぶり、徐々に動きが早まる。

 「ぼ・・・くは・・・彼・・を」

 「・・・・黙れ。」

 「わす・・・・れ・・」

 「『奴』はここにはいない。」

 「――――――――ッ」

 「ッ・・・・」

 

 ―――僕は・・・無限城(ここ)を出るよ―――

 『そうか。』

 ―――止めないのか?

 『止めたところで聞きはしまい?』

 ―――・・・まあね。

 『条件が、ある。』

 ―――何?

 『全てを・・・忘れろ。』

 それが条件。いや、命令。断ることなど許さない。

 だから、答えは唯一つ。

 ―――解った。

 それが、約束。

 それが、全て。

 『征け、花月・・・』

 

 いまだ良く動かぬ頭が、記憶を紡ぐ。

 「未だ・・・約束は果たせていない・・」

 天井が、あふれた涙にぼやけた。

 「忘れなければ、いけないんだ。」

 「そう、伝えかったのか?」

 不意に、寝ていると思っていた少年の声が聞こえた。

 「アンタに『忘れろ』って言ったのはそいつの『優しさ』だろ。」

 「・・・?」

 煙草の煙で、すぐ近くの顔がうすれた。

 「忘れようとすることでアンタが苦しむならそんな約束、無効だろ?」

 「・・・・!」

 涙で、何も言えなくなった。

 

 『全て、忘れて幸せに。もう二度と闇の中に戻らぬように。』

 それが、意思。

 それが、想い。

 ・・・・それが、願い・・・・。

 

 

 

                              (今度こそ)完。

  〜追伸〜

  翌日、花月の瞼は腫れており、例によってまた立ち上がることもできず、

 極度の二日酔いに見舞われ、不機嫌極まりない状態でそこにもう一泊したという。

 ・・・・・その間、蛮が身の毛もよだつイヤミ攻撃を受けた、

 というのは、はてさて嘘か真か・・・それは本人達しか知らぬことである。

 

筒井矢野様より頂いた地雷小説(十花ベースで蛮×花)その2です。
わがままいって、第2弾(続き)を書いて頂きました。
それにしても「身の毛もよだつ嫌味攻撃」…一体どんな攻撃なのか
大変気になる所です…(^^;)

筒井様、ありがとうございました!!
載せるのが遅れて申し訳ございません…