Overture − 序曲 −

キャノン鈴木

見よ、この世の全てはむなしい、
− 快楽を追ってみよう、愉悦に浸ってみよう −
見よ、それすらもむなしかった。
(旧約聖書:コヘレトの言葉)



石の壁に刻まれた彫刻、重い色合いの布、重厚な家具、

それらすべてが、主人の性情におびえ、息をつめて沈黙しているように見える。

その建物の奥まった所に在る一室、豪奢な寝具の中で眠る白い肌と花の容貌を持つ

人は、今はまだ起きる気配はない、

しかし目覚めた自分を待ち受けるものが“絶対的な支配”だと知ったなら・・・

 

 

 

 

「ルシファ−様、絃術師は目を覚ましましたか」

「いや・・」

二人の男もまた、その一室に居た、

ルシファ−は自ら紅茶を煎れ、俊樹にも勧めた後、花月の眠る寝具の傍らの

テーブルに着いた。

横目で微動だにしないその顔をちらと眺め、俊樹に問う。

「本当にこれが無限城ロウアータウンでかつて最大勢力を誇った“風雅”のリーダー

 なのかね?」

「は・・・昔の話ですが」

 

そう― 昔の、もう帰ることは出来ない時代のこと。

自分が無限城をでてから、あの「時」はゆっくり、しかし確実に離れていっている。

変化したものはありすぎるくらいだが、残っているものと言えば ―

 

 

知識が深まれば悩みが増し、知恵を知れば痛みも増す

 

誰かの言葉が頭をよぎる

 

 

 

 

 

「雨流」

 

呼ばれて、自分が花月を凝視していたことに気付く。

 

「昔の仲間に会って懐かしいか?」

「いえ、そういう訳では・・・」

 

「リーダーは古流術派の使い手だけあって、この無限城でも免疫一つ乱れさせずに

 やっているが、見た目はどうにも儚すぎる」

“風雅”のメンバーの誰かが半分戯言として言った言葉。

その通りだと思った。

白く美しく華奢で、折れそうな首は噛み付きたくなるようななまめかしい線をしている。

敵として対峙しても、その印象は変わらなかった。

むしろあのどこか不健康な色気は益々増して・・・

くっ、と喉を鳴らす。

 

 

「ルシファ−様」

「なんだね」

「この男を・・・風鳥院花月を・・・」

 

 

 

穢シテクダサイ

 

 

 

 

― 最後まで聞かずに、ルシファ−は椅子から立ち上がると、静かに言った。

 

「私は暫くこの部屋に居る。何かあったら呼んでくれ。」

「 ― 承知致しました ― 」

 

 

 

 

 

一人になった男は、花月の髪を一房取ると、さらさらと落ちる感触を

幾度か楽しんだ。

 

 

「 ・・・君を陥落させてみせよう・・・オルフェウス・・・・」

 

 

 



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